大阪市の中心部を南北に延びる上町台地(うえまちだいち)の最北端(さいほくたん)の地では、古墳(こふん)時代(5世紀)に大規模な倉庫群(法円坂(ほうえんざか)遺跡(いせき))が営まれ、国際港である難波津(なにわのつ)とともに交易、交流の拠点(きょてん)として発展した。その後、飛鳥(あすか)時代(7世紀)から奈良(なら)時代(8世紀)にかけて 前・後2時期の宮殿(きゅうでん)が造営された。このうち前期難波宮は「大化改新(たいかのかいしん)」(645年)による難波遷都(なにわせんと)の後に営まれた難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)と考えられている。後期難波宮は、奈良時代に聖武天皇(しょうむてんのう)により再建されたものである。